[体験記]トランスフォーマーの撮影場所:フーバーダム

フーバーダムとは

フーバーダムは、ネバダ州とアリゾナ州の州境にあるコロラド川ブラック峡谷(ブラックキャニオン)に建設された巨大なコンクリート製重力式アーチダムです。世界恐慌の最中の1931年から1936年にかけて建設され、1935年9月30日にアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト臨席で開所されました。

命名の由来

フーバーダムの名称は、当時のアメリカ第31代大統領ハーバート・クラーク・フーヴァーにちなんで名付けられました。

映画でのフーバーダム

フーバーダムは映画のロケ地としても有名で、以下の作品に登場しています。

  • 「トランスフォーマー」シリーズ(クライマックスシーンの撮影地)
  • 「カリフォルニア・ダウン」(2015年公開、地震でフーバーダムが崩壊するシーンあり)

基本情報

  • 高さ: 221.3メートル
  • 長さ: 379.2メートル
  • 貯水量: 約400億トン(日本の全ダムの貯水量を超える規模)
  • 貯水池: ミード湖(アメリカ最大の人工湖)
  • 発電能力: 約2,080メガワット
  • 供給地域: アリゾナ州・ネバダ州・カリフォルニア州
  • 所在地: ラスベガスから車で約40分(約40キロメートル)

フーバーダムの見どころ

ダム本体の外観

巨大でダイナミックな景観を誇るダム本体の外観は圧巻で、アールデコ様式の建築デザインも特徴的です。ダムの上から下を見下ろすとその高さに圧倒されます。

ダム内部の発電所

ツアーに参加すると、通常は見ることのできないダム内部や発電所を見学できます。大きな発電機がずらりと並ぶ様子は圧巻です。発電機のローターと人の大きさを比べてみてください。

一列に並んだ発電機
保守用に取り外された発電機のローター

発電の仕組み:ダムに蓄えられた水[A]が中水路[B]を通じて発電機下部の水車[C]に送られ発電機のローターを回転させます。その後、水は排水路[E]を通じて下流[F]に流されます。

一方、発電機のローター[D]の回転により発生した電流は変圧器[G]により超高圧電流に変換された後、送電線[H]により送電されます。

コロラドリバー橋(メモリアルブリッジ)

2010年に完成した、フーバーダム下流に架かる橋です。日本の大手ゼネコン「大林組」が施工した北米最長のコンクリートアーチ橋です。橋の上からはフーバーダムを見下ろす絶景を楽しめます。

フーバーダムへの行き方

  • ラスベガスから車で約40分
  • レンタカーまたは観光バスツアーでのアクセスが一般的
  • グランドキャニオンへの途中に位置しているため、セットで観光することも可能

ラスベガス発の半日ツアー

ラスベガスからフーバーダムまでの往復が短時間で効率的にできるため、ツアーへの参加をお勧めします。私が参加した半日ツアーについて解説しますので、ご参考願います。

  • ラスベガスの主要ホテルまで迎えに来てくれます。乗車の際に予約確認証(バウチャー)もしくはモバイルチケットの提示を求められますので忘れずに準備してください。
  • ドライバーを兼ねたガイドが案内、説明をしてくれます。(英語)
  • 大型バンでの少人数のツアーです。普通は豪華な後部座席に乗車しますが、私はなぜか助手席に案内されてしまいました。
  • 所要時間は送迎を含めて4時間程度です。

フーバーダム建設とラスベガスの関係

フーバーダム建設の背景

フーバーダムは1931年に建設が始まり、1936年に完成しました。この巨大プロジェクトは、コロラド川の洪水を制御し、灌漑用水を確保するとともに、発電を目的として計画されました。特に1905年に発生した大規模な洪水がダム建設を急務とする声を高めるきっかけとなりました。

しかし、フーバーダム建設には重要な時代背景がありました。1929年に始まった世界恐慌の真っただ中であり、アメリカ経済は深刻な不況に見舞われていました。この時期、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策の一環として、失業対策や景気回復を目的にフーバーダムの建設が進められたのです。

ボールダーシティの誕生

フーバーダム建設に伴い、労働者たちの生活拠点としてボールダーシティという町が作られました。この町はラスベガスから南東に約40kmの場所に位置しています。

当時、約7,000人もの労働者がフーバーダム建設に携わり、その家族もボールダーシティに住んでいました。ダム建設期間中、ボールダーシティはネバダ州最大の町にまでなったと言われています。

特筆すべきは、ボールダーシティではギャンブルとアルコールが禁止されていたことです。建設作業の効率と安全を確保するための措置でした。そのため、労働者たちは休日になると娯楽を求めてラスベガスへ向かっていました。これがラスベガスの発展の一因となったのです。

フーバーダム完成とラスベガスの発展

1936年にフーバーダムが完成すると、ラスベガスの発展を促進する複数の要素が揃いました:

電力供給

フーバーダムから得られる豊富な電力はラスベガスに供給され、後の「ネオンの街」の発展の基盤となりました。ラスベガスの煌びやかなネオンサインやカジノの24時間営業を可能にしたのはフーバーダムの電力だったのです。

ラスベガスの本格的発展

1940年代に入ると、フーバーダムからの安定した電力供給とダム建設後も残った人口を基盤に、ラスベガスは本格的に発展していきます。

1946年には、マフィアの実力者バグジー・シーゲルによって「フラミンゴ」ホテルがストリップ地区に建設されました。それまでのラスベガスはダウンタウン地区の小さなカジノしかなかったのですが、フラミンゴの成功により、1950年代以降、サハラやリビエラなど大型ホテルの建設ラッシュが始まりました。

この時期に建設されたホテルやカジノの多くは、フーバーダムからもたらされる豊富で安価な電力を活用していました。電力が豊富だったからこそ、24時間営業のカジノやネオンサインで彩られた「眠らない街」としての特性を発揮しました。

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